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2016.06.21

その思いにつける名前は無い。

テキストエディタ開いて打ち始めるまでにだいぶかかった。
ココログの入力ページ開いてみたら、2014と2015はひとつもエントリしてなかったな。
何度か書きたいというか、打鍵したいような気持ちになって、開くところまではしたけど、結局は自分の過去エントリ読んで懐かしくなってるうちに時間すぎて疲れて終了みたいな。
こうして前置きが長くなるのもなんなので、どっちにしろまとまりは悪いが、ゆるゆると続ける。

表示が長いのが嫌なので畳む方式があるのだが、それがきちんと効くのかももうわからない。スタイルシートを手動設定してるんだけども…そもそも、スマートフォンサイト形式だと効かないだろうしな。ま、単なる区切り線。

大倉不在だった今年1月のツアーラストと、それに伴うDVDリリースについてです。


但し、私自身もさんざっぱら書き連ねたような、売り方に誠意がないとか、なんでオーラスが本編なんだとか、客の顔映り過ぎ問題とは別の話し。

たぶんついろぐでも見直せば、何度か言及してるとは思うのだけど。

1.17とか表現がロクなもんじゃない、とか、ジャケデザインのあれはなんなのだとか、絆を売りもんにするなとか、言ってみれば怒りとは結構ポジティブなエネルギーですよ。少なくとも発する本人が「これは正しい声明だと」思って言ってる分には。

実際、私がボディブローのように、じりじりとダメージくらってるのは、実はそこじゃない。
そこなんだけど、そことは違う。

7人全員揃って、てのがもうダメージ。
全員、全員って。
私個人だけの感慨だとわかっている。あるいは限られた(周辺)範囲だけのものだと知っている。
いま唱えるべきはそこでないとわかっている。
でも、ダメージくらってる。
次は全員で、って。次って。全員って。

振り返って1月17日のことを考えてみたのだが、そりゃー寂しいし残念だが、辛かったかと言われたらそうでもない。

これ、私のけっこう偽らざる本音だ。
よくよく考えてみたけど、深層とか掘ってはみてないけど、でもけっこうな個人的事実だ。
端的に言うと「極めて楽観視」

だって、(その時点では腸閉塞の深刻さとかぜんぜんわかってないのだけど)おそらくしばらく休めば治るのでしょ? 腕複雑骨折してドラムがいつ叩けるかわからない…だとか、顔に大怪我負ってて、俳優業に支障が出るかも、とかよりなんぼかマシじゃないか。
いや、比較論で考えるところではないけど。

で、まあ何日くらいかかるものか知らないけど(まさか1週間後のラジオどころか、3日後の収録に参加できるレベルとは逆の想定外だったが)、次のツアーだリリースだのにはぜんぜんふつうに登場するだろうという予想の下ではあるのだけど「なーんだ」である。

当日けっこう言われていたと思うけど、人数減で出てきた時に、照明もあまり当てずにふらーっと出てきた時に、地味な黒パーカーで出てきた時に。「なんの不祥事だ???」と思ったはずである。結構な人数が。言うまでもなく私もそう思った。まだ双眼鏡も出してないし、モニターはつかないし、不在者がわからないし。ごらんの通りと言われても気付かずに「大倉くんがいません」でようやく分かったレベルだけど。おおくら、何やらかしたんだ?…と思ったよね。うん、思った(自己完結)
そしたら、腸閉塞だってよ。馴染みのない病名だけど、まあそれなりに治るであろう。いわゆる盲腸みたいにクスリで散らすのは無理だったんだろうなあ。しかし、昨日元気だったよなあ。というか深夜のラジオも出てたような気がするが…みたいな。

治る(だろう)病だよ。
それなりに短期だと想定されるよ。
安易に(爆)戻ってくると予想するよ。
ちょっとは心配だけど、たいして心配しないよ。

だって、もどってくるんやけん。
ちょっと欠席しただけやけん。

もっと正直に申せば、さて、今日この場合どうやって演出フォローしていくのだろう。…と楽しみが無かったとは言い切れない(爆)
実際「なるほど、こうして乗り切るのか」と、ふむふむと思いながらイレギュラーを楽しんでいたのは隠せない。

そうじゃなくて。いや、それはそうなんだけど。

いちいち感じていたんですよ。
病欠を堂々とネタにできるんだなーって(そのあたりの空気も、病が深刻ではないことを察して安心材料)。
ネタと同時に愛だなーって(メンバー愛という単語はつかいたくないオタ心理)

居ないということを、居ないスペースがあって寂しいということを隠さなくていい。
寂しいと言っていい、待ってると言っていい。
次は必ず共にと口に出していい。

なんてラクなんだろう。
なんて幸せなことだろう。
正々堂々と待てる。いま辛いよって言える。今度は揃って欲しいって隠すことなく言える。

11年以上経って、あの時の、夢がひとつ叶ったと同時にくるしい、楽しいけどくるしい、いま7人が目の前に居て、それが楽しくて嬉しいけど手放しで喜ぶことも何か違うようでくるしい。
待ってるって言えない。完全体を待つというのは失敬なのではないか、いま目の前では不足だと言う事にはならないか、というか、そもそも不在ですとも公言できないんだけど…みたいな。
それを改めて実感して、苦しさの正体に気付いて。みたいな時間でもあった。
ただ寂しいとか、ただ悲しいとかそれだけじゃない、あの空気のダメージの正体に気付いたというか。

そういうのと比べると、心軽い(今回はラク)気分と、なんであの時はあんなに辛かったんだろうって気持ちと。
ウチワをもって走り回るメンバーを見ながら、あの時もこうして笑って待とうね、って共通認識で堂々あらわせたらもっと気が楽だったんだろうな、とか。
もうそういうことをひとつひとつ感じていたのですよ。
いま言葉に書き表すと、相当深刻だけど、実際はそうでなくて、ぼんやりとそういう感じが出ていたと。

逆に言うと、もうそういう比較が自動的に心の中で処理されているから、大倉が目の前に居ないことくらいけっこう平気なんですよ(爆)
そりゃ実際は穴が空いてます。
事前のぼんやりと欠けるなあと想っていた部分を、具体的にひとつひとつ「ああ、ここが足りなくなる」「ここが意外と重要だった」と確認していくことは、ラクではないし、もちろん無いにこしたことはない。でも必要ではないけど、実際に直面して初めて気づくこともいっぱいあった。
だから、無くてもいい経験だけど、これもひとつの経験だな…て思っていたというのが、まあ正直なところだった。

つまり、ぶっちゃけるとそんなにダメージくらってなかったんですね、現場では。

地味にだんだん喰らっていったのは、事後だったりする。
大倉が居なくて辛かった、というのはいい。
もう二度と6人でのコンサートなくて見たくない、てのはそうだと思う。
でも、7人揃って完全な形で云々、とかいうのは辛い。
別に悪気も何もなくて、真実はひとそれぞれなのだけど、ただ私が辛い。
そうかー、て納得はできないけど噛み締めながら、つらい。
そういう声をいくつもいくつも見つけてしまって、それが多数派なんだなと実感するのが辛い。
それが全てではないんだろうけど、今はそれが大多数なんだという現実が辛い。知ってたけどつらい。つらいというか寂しい。

まあ繰り返しばっかりになるので、やめとくけど、そうして少数派というか超限定的なボディブロー攻撃もだんだんくらわなくなってきたところに、生産限定版リリースの決定と、それに伴う宣伝文句ですよ。まあ腹が立つわ!でもこの腹立ちは多数派だわ!これは冷静になりつつも正々堂々と怒っていいところだわ!
てことで、ポジティブに元気よく怒りをぶちまけるわけですよ。
ふんふん、この怒りは同調者が多いな!と思いながら眺めてたら、あの辛い思いが蘇ってきて…的なコメントにまた出くわす。以下略。
そして、発売して改めて中身見て、以下略。

なんというか。

私は、NEWSのいわゆる被害者ぶりというか(言い過ぎ)悲劇売りは断じて好きじゃないし、何年も経ってまだ言うか…てのは正直思ってるのだけど。
KAT-TUNがまさかの3度目の脱退を経てこうなって、それを受け止めて、隠さず、でもくさらず…というのは(内部ではほんと色々あるだろうとは思うが)大したもんだと思っていて。
で、∞。あの人たちは言わないのがかっこよいと思ってるところがあるのだろうと勝手に推察していて、まあどっちかというと、実際は言えないまま時間が過ぎてしまって、8周年の時に初めてのような感じでテキストで述べていた。でも真相の全てではなくて、そして結局のところ「口に」はしていない。�

言わなくてもわかってくれよ、ということだろうし、実際それが仕方ない環境が長かったので、態度や些細な言動から汲み取ろうとしていて。結果、自由考察、自由読解がどうとでもなりたつようになり。
なんだろう、今更いうなよって感じだけど、もっと教えて欲しかったな。思ってるところを。
いや、今からでもいいから、どう思っていたのか、今はどう思ってるのか教えて欲しいなって思うんですよ。知ったからってこのやりきれない、消化も昇華もできない、いつまでもくらうボディブローが無くなるかと言えばそうではないと思うけど。
でも、何か言ってくれてて、それが何かのかたちで残っていれば、今回こうして喰らう頻度も重さも小さかったのではないかと…半ば言いがかりのように思っている。

これはあくまで推測でしかないけれど、キャパは城ホ→京セラで大きくなり、当然関わるスタッフの数も多くなり、掛けた予算も多くなり、何より当日(大倉が夜中には言い出せなかったから朝になってから)の変更というのは、恐らく11年前は10日以上前には大幅な内容変更が決まっていただろうからそういう意味では「史上最大」の試練なのかもしれないけど。
でも、当日の客に対しての心理的には、オープンにしちゃえるんだから11年前より楽だったんじゃないだろうか。ましてや11年前の経験値があるのだから。

そのへん考えると、安易に史上最大とか言ってしまうアピールコメントを考えるひとの配慮の無さは嫌い。もうだんだんと好き嫌いだけの問題。

まだメイキングは見ていない今回のリリース。
本編での文句は、もうほんと客の顔映り過ぎだから!これは大倉不在とまったく関係なくて、もう単にそういう造りが嫌いっていう話で。
その客の顔は当日は見ていないから(当たり前)知らないことだけど、映ってる事象は驚くくらい「ああ、そうだった」の連続だった。近年のわたしは「あれ、こんなんだっけ?」的に知らないというか、見てないこと、あるいは見てても記憶に残せてないことが多いので、そういう意味ではよく覚えていた。
人の記憶のメカニズムは不思議ですね。
そしてやっぱり映像を見ながら「ああ、2005夏はこれはできなかったこと、て当日も思ってたなあ」と考える。我ながら粘着質ひどい。

それにしても、無意味にだらだら書きひどい。いつもの(何年振りかのブログだけど)ごとくだけど、ひどいな自分。

それから、病欠として、もっと心配しない何かあるかな…て考えたのだけど、特に思いつかなかった。
割とポピュラーなところで、割と罹患する人多い…というと、やはりいわゆる「盲腸」なのかな。クスリで散らせなくて、どうしても手術になってしまいました、と。
それだったら「なーんだ」とながせやすかったかもしれない。
もちろん、結局やっぱり不在の物足りなさは消えないし、それをリリースするとまた大騒ぎになるだろうし。

でも、打ち始める前に自分のログをよみなおしてて思ったけど、その11年前のちょっと前の肺気胸もな…しんどかったな、と。いや、それも命に関わることじゃぜんぜん無いのだけど(実際その時もよかったのか知らないけど月内に復帰してる)。あの時は、激務が原因でないとは言い切れず、激務の原因は掛け持ちで、掛け持ちでもいいからこっちにも居てくれという我々の気持ちが重荷になるのではないかと滅入り、でも手も離せず、しかしこのままでは今後もずっと…という巡り巡りで。
それと比べると、大倉は掛け持ちしてないし、というかどっくんもとっくに解消されてるし、なんて晴れやかに心配できるのだろうと、改めて気付いたりもしていた。

さっぱり結論もなんもないのだけど、とりあえず言えるのは、2度あることは3度あると申しますしね、これで次も何らかのトラブった回しか収録してなくて、それを絆だ珍しいトラブルだと言って売るのはいくらなんでも危機管理がなってないと思うので、まあ回避策をとるべきだよね、という話(そこ?)

実際、またほんとに1回しか設定してない収録回をしくった場合は、リリースしないだろうな、と思う(爆)。だって売りますよって約束した上でツアーやってないもんね。(もし約束してたら、何がなんでも予備をキープして収録すると思います)

私はめんどくさい系のオタクである。つける薬も改善する見込みもない。今は。

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コメント

読ませて頂きました、私も同感でした。そして読んでいて思い出したのは、8ESTのパンフレットや字面くらいでしか何にもメンバーは言っていないと書いていましたが、2013年の1月 京セラドーム公演に行った際に、最後の最後にメンバーがわざわざ真ん中まで歩いてきて一人ずつコメントをしました。その時に1人欠けてここまで来たこと、お互い新しい場所で頑張っていること、錦戸くんは名前もちゃんと出して、今までとこれからのことを色々話していました。その内容全てをここに書くのは字数的に無理なので申し訳ありません、残念ながらその映像はDVDやアルバムの特典には付かなかったのですが…。
全く見当違いなコメントでしたら大変失礼いたしました。

投稿: オト | 2016.06.21 14:06

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